楽器

長文注意!!

これは自分への備忘録的、いましめ的投稿なんですが。。。

楽器って(に限らずか?)実に不条理なもので、諦めずに練習すれば誰でも世界的な奏者になれる訳ではないですよね。とある技術に着目したとして、はじめからある程度上手い人もいればめちゃくちゃ手こずる人もいる。手こずりまくった挙句に結局出来ない、なんて事もしばしば。そんな時、如何ともし難い不平等さを感じるわけですが、やらなければそもそも何も始まらないし、諦めたらそれはそれで終了が決定するという。

だからやっぱり、程度に関係なく自分が気に入らないとか、出来るようになりたい事がある以上はそれを突き詰める価値があると思うんですが、そんな時自分でも忘れないようにしたい事であり、やはりそうだなと改めて感じる事がありまして。

それは、壁を突き破るヒントやキッカケは、ほんと、どこに転がってるか分からない、という事です。

自分の好きな奏者や師匠がいれば、自然とその人の言うことややる事は積極的に採り入れようとすると思いますが、身になるヒントってその辺りばかりから来るわけでもないんですよね。ときに無着目のところから、もしくはちょっとバカにしてるようなところからヒントを得ることがある。 恥ずかしながら、そんな時にハッとさせられる訳です。自分以外の人からは何かしら学べると言いますが、その通りだと。

なので重要なのは視野を狭めず、自分が追い求めるものが何かを把握して、それに関連しそうな情報にはできる限り間口を広げるということですかね。ただ注意点は、鵜呑みにせず、自分なりに噛み砕く必要があるという事でしょうか。他人のやり方がそのまま自分に合うと言う事は稀なので、最終的に要点だけいただくというか。それまで時間かかりますけどね…。

そんな中でもう一つ忘れないようにしたいのが、相棒となる道具、楽器の存在。よほど粗悪なものでなければ(真に粗悪というモノがあるのかは分かりませんが…)、道具がある程度の不正解を自分に教えてくれる気がします。音が小さいとか、汚いとかで、自分が気に入るような良い音がしない。もちろん相性もあるけど、上手な人は往々にしてどの楽器でも良さを引き出せるという事を考えると、たとえやりにくいと感じても、ただ相性が悪いと片付けてしまうのは早計な気がします。

それで言えば、自分の身体もですね。やり方が悪いと、単純に怪我をする。怪我をキッカケに奏法を見直す人は多いと思います。それを思えば怪我も悪くないですが、単純に痛いですからね。そうなる前に不具合に気付けるように、自分の身体とか道具から発せられる声に耳を傾けたいもんです。。。

写真はそんな相棒のひとつ。
よろしくです…。

パーカッション 塩のやもとひろ